恋の欠片を追う物語『恋×シンアイ彼女』感想・考察(4073文字)
お久しぶりです。
今回は、Us:trackから2015年に発売されたPCゲーム『恋×シンアイ彼女』の感想や考察を書いていこうと思います。
元々新島夕先生のシナリオ(『はつゆきさくら』『アインシュタインより愛を込めて』)も、きみしま青先生の絵も好きなので楽しみにしていた作品ですし、中高生の時に文芸部に所属していた自分にとっては感情移入しやすい物語でした。そのため、かなり感情を動かされた物語です。
この作品は、(メインとなる)星奏ルートが賛否両論で有名ですが、僕は星奏ルートが、そして彼女と洸太郎の恋愛観が好きでした。エロゲという文脈で見たら挑戦的すぎるとは思うけど。
感想を書くにあたって、(特に星奏ルート・終章の)ネタバレが含まれます。
既プレイの方のみお読みください。
星奏以外の各ルートの感想
まずは各ルートの感想です。サクサク行きます。
凛香√
最初にやりました。正直、そこまで面白くはなかったです。というか、一つ一つの場面は悪くないのに繋がりが足りないというか、寸劇を見せることにとどまっている印象です。野球とか唐突すぎる感。
あと、このシナリオならば演説のシーンカットしちゃだめでしょって思いました。
このルート、なんか他のヒロインのルートよりもシーン数も多くて長かったのに、キャラの魅力がイマイチ伝わってこないシナリオでした。いっそキャラ萌えに振り切った方が良かったのではないかな。
テーマは諦めることとかその辺りですかね。
ゆい√
二番目にやりました。凛香ルートが個人的には微妙だったのもあり、新島夕先生以外の担当部分についてはあまり期待しないでいたのですが、結構面白かったです。
「恋愛物語」としてはまあ普通のシナリオですが、「成長物語」としては良かったんじゃないかな、と思いました。終盤のショベルカーのCG、かなりえげつないなーと思いましたけど好きです。構図が天才すぎる。
テーマとしては大人になることですね。このルート、創作観みたいなものに少し触れていて、後に考察するヒントになりそうです。
結構えげつないけど泣けるシナリオ。
彩音√
さて、ここからが新島先生の担当ですね。
「再会した女の子と恋愛をする」というコンセプトの片方を担うシナリオですが、星奏ルートと対になっている部分が多く、全部クリアした今だとこのルートを単独で評価するのはなかなか難しいですね。
星奏ルート以外のルートでは一番好きでした。告白までのシナリオと告白シーンについて、彩音との過去エピソードや関係性を活かした素晴らしいものだと思います。後半は少し冗長に感じる部分がありましたし、このルートだけで意味を理解するのは難しいシナリオになっていますが(彩音ルートの段階ではグロリアスデイズの食中毒とか普通に信じてた)、最後に初披露される挿入歌『GLORIOUS DAYS』に全て持ってかれましたね。この曲、シナリオ抜きでもヤバすぎる。
このルート自体は文句なしのハッピーエンドのように見えますし、実際に洸太郎と彩音は幸せに生きていくと思いますが、恐らく洸太郎が小説を書くことは無いのですよね。このあたりが彩音ルートと星奏ルートを比較する際に大切になってくる部分だと思いました。また、彩音は不器用ながらも「言葉にする」ことを大切にしているのも対照的だと思いました。
個人的に、このルートが一番「シンアイ彼女」というタイトルに合った物語だと思いました。
星奏√&終章の感想・考察
さて、星奏ルートの考察に入ります。彩音ルートやゆいルートの内容と比較したりしながら、洸太郎と星奏の恋愛観について考えていきます。
このルート、序盤から明らかに筆が乗っていて、書きたかったものはこれなんだろうなーと思いながら読んでました。
あと序盤の彩音が可愛くて、見てるのがつらいなーと思いながら進めてました。
「星の音」
星の音というのは、星奏の創作へのインスピレーションのようなものですが、これはまあ洸太郎との思い出によりもたらされていると考えてよいでしょう。より正確に言えば、彼女は洸太郎と過ごした経験を消費的に作曲へのインスピレーションとしていたという話です。これはやがて尽きるもので、彼女はその度に洸太郎の元に戻ってきて、星の音が聞こえた後は必ず姿を消しています。最も、星奏が姿を消す時には実際には彼女は大人の事情に翻弄されていて、単純に彼女の意志ということは難しいですが、少なくともその後、彼女は作曲という表現手段を取り戻しています。
これについて、何故なのか考えてみます。そもそも星奏は小学生のときに、洸太郎に手伝ってもらうことで夢を叶えることができたのです。そのときから彼女の作曲は洸太郎との思い出にある種の依存というか、言わば呪いのようなものがあったのかもしれません。
大人に、そして「グロリアスデイズ」に翻弄される彼女にとって、洸太郎との思い出だけが世界だったと、そしてその世界を削って彼女は作曲をしているのだと解釈しました。このような考察をしてみると、この作品に対して見受けられる、「洸太郎より音楽を選んだ」という意見には少し疑問が生じます。彼女にとって、洸太郎との思い出という世界は音楽と切り離せるものではないのではないのでしょうか。
「グロリアスデイズ」
バンド「グロリアスデイズ」ですが、彼女らは彩音ルートでは食中毒で全員がライブに出れないということになり、このときに洸太郎は「実は元気なんじゃないか」という印象を抱きます。彩音ルートをプレイしている時はさらっと流してしまいましたが、ここは恐らく新曲が完成していないがために、食中毒を理由にしてライブに参加しなかったのでしょう。
では、星奏ルートではどうでしょう。メタ的に見ると、このルートでも「食中毒」という理由が噓であると考えられる、つまり、グロリアスデイズのメンバーは星奏に歌わせて、彼女の存在を世に知らしめることで彼女を連れ戻すことを狙ったのではないでしょうか。
グロリアスデイズのメンバー、星奏に厳しすぎる。
「アルファコロン」
洸太郎が書いた三本の小説、『さよならアルファコロン』『それからアルファコロン』『お前はアルファコロン』が誕生した経緯を考えてみます。洸太郎の創作への姿勢は、ゆいルートの内容が少しヒントになりそうです。
ゆいルートでは、ゆいの母が「好きの範囲に収まらないくらい好きなものから題材を探す」という話が出てきます。ゆいルートにおいて、この対象はゆいですが、星奏ルートでは星奏を想って物語を作るわけです。『それからアルファコロン』『お前はアルファコロン』はいずれも星奏に対して届くものを書くという意図で作られていますが、同時に作品自体の題材をそこに見出しているのです。
『私はアルファコロン』
『それは路地裏に、夜空に。誰かが見た、浪漫だよ』
『どういうこと?』
『さよならっていうこと』
少女がそっと笑う。
『さよならアルファコロン』
作中の断片的な情報からでも、洸太郎の中でアルファコロン=星奏の意識があるのは読み取ることができますね。このへんが彩音ルートとの対比が強く出ているというか、星奏という女の子は、洸太郎にとっての言わば「星の音」のようなものだったのでしょう。
「森野精華」
森野精華は、プレイヤーに対して、星奏という人物を理解するために登場させられたキャラクターであると考えられます。
彼女は星奏が好きだった桜の丘を、「時間が止まっている」と評しました。星奏にしてみても、あの丘は変わらない思い出の象徴であるのでしょう。
そして、彼女に対して、洸太郎は小説を書きます。誰かに宛てた小説ならば書けるから。このあたりは『お前はアルファコロン』に繋がってくるような気がします。
「星奏の置手紙」
星奏が2度目の失踪をした時の手紙について考えてみます。
彼女は「もう、あなたを利用したりしません」と書いています。この後に彼女は手紙をくれたこと、そして指輪を差し出してくれたことに対して、「あの瞬間を、ずっと大事にしながら私は生きていくと思います」と書いているので、これらは彼女にとって大切な思い出であるということは前提として考えられると思います。
ここで、彼女は3回目の「星の音」を聞いたにも関わらず、その後に今までのような人の心を動かす音楽を作ることが出来なかったことが想起されます。彼女のインスピレーションが洸太郎との思い出を消費することで湧いてくるものならば、「あなたを利用しない」という言葉を「あなたを創作のために利用しない」と解釈すると、星奏がかつてのように素晴らしい音楽を作ることができなくなったことが説明できると思いました。
この結果としての音楽が、「空虚でウソ寒い」ものだと洸太郎が感じたなら、これほど辛い話はないかもしれません。
ラストの解釈
ラストのシーン、洸太郎はmy podで「三年前に二人で暮らし始めてから作った曲」を聴いています。この曲は「Glorious days」とは別の曲の筈ですが、洸太郎は「この胸にこだましつづけるグロリアスデイズ」と言及しています。この曲が「Glorious days」のアレンジ曲なのかは分かりませんが、少なくともこの曲は3度目の星の音を聞いた後に作った曲と違い、洸太郎の心を動かしています。
このシーンから何を読み取るかはかなり難しいのですが、自分はこのシーンが先述の「洸太郎を利用しない」「洸太郎の前に現れない」という決意を否定する意図を含むと考えました。洸太郎と暮らしていたときに、彼との世界に囲まれて作った曲の方が、孤独に作った曲よりも、彼の心を動かしたのだから。
もし、この考察に沿って考えるなら、最後のシーンの解釈としては、やはり星奏が洸太郎の元に帰ってきたと解釈したいです。
『お前はアルファコロン』は確かに彼女の心を動かしたのだと。