「恋に至る病」感想・考察
恋に至る病 (著:斜線堂有紀) 考察
今回は、「恋に至る病」について考察していきたいと思います。ネタバレが多分に含まれるので、未読者はブラウザバックを推奨します。
未読の方には、本当に面白い、心を揺さぶられる小説なので是非読んで見ることをおすすめします。
それでは考察していきたいと思います。
まず、作者自身による後書きでも問われていましたが、「宮嶺が景にとって"特別"だったのか」という点です。
これについては、最後の消しゴムの描写が衝撃的でしたが、最後の消しゴムが景にとって宮嶺が景にとって特別だった証拠とも、「ヒーロー」同様、あくまで宮嶺を操るための道具だったとも考えられます。
この描写だけでは判断できないので、彼女の動機について考えてみたいと思います。この場合、可能性としては次の3つになるでしょう。
- 本編中で語られた通り、流されてしまうような人間を殺すため。(人間に対しての絶望。)
- 殺人を通じて、又は人を操り支配することを通じて快楽を得るため。
- 宮嶺に止めて欲しかった。(流されない人間が存在することを確認したかった)
などが考えられると思います。
1.の場合、引き金となったのは根津原を中心とした宮嶺へのいじめであると考えられます。これまでは「正」の方向にその能力でクラスを無邪気に操っていた景は、根津原を説得しようとして失敗してしまい、また、クラスが根津原に流されて宮嶺をいじめていることを知り、流される人間は「負」の方向に強く流されるということを知ったのでしょう。このことは後に景が偽造した社会学者の論文に記されています。
ただ、この場合、終盤の宮嶺は景に「流されている人間」であり、宮嶺はきっかけであるという意味では特別ではあるが、愛という意味では特別では無いのではないかとも思われ、あくまでスケープゴートであったと考えられるのではないでしょうか。
2.についてですが、景はブルーモルフォにより快楽を得ていたことに言及しています。しかし、これが本来の目的であったとは限りません。初めからこれが目的であったならば、景は正真正銘の「化物」であり、彼女を理解することは不可能になってしまいます。
3.は1.と真逆であるように思えますが、スタンスが異なるだけで起点は一緒であると考えられます。1.が性悪説を信じ人間に絶望したと考えられるなら、3.は性悪説を信じながらもそれを否定して欲しかったと考えられるでしょう。3.の場合、宮嶺は景にとって否定してくれるかもしれない「特別」な存在であると考えることもできるでしょう。
1.であるか3.であるかを考えてみます。
ブルーモルフォというシステムは現実の「青い鯨」というものをモチーフにしていると考えて間違いないでしょう。(知らない人はググって下さい。画像が微妙にグロいので注意)腕に蝶(鯨)を彫らせたり、朝早くに起こして思考能力を低下させ、最終的に自殺に追い込んだりと酷似しています。
この「青い鯨」というゲームは「社会に何らかの不満がある者」「生に絶望している者」などに参加させ、最終的に自殺に追い込むというものです。
ロシアのSNS自殺誘発ゲーム『青い鯨』の犯人・プデイキン容疑者の画像と130人の被害者の少年少女達 | Pixls [ピクルス]
これらの条件や実際に逮捕された犯人の供述を見る限り、現実での「青い鯨」は1.に近い動機であったと思われます。これと類似したブルーモルフォについても、そもそもまともな人間は手を出さないであろうことも考えると、景の動機も1.であるように思えます。つまり、景の目的は流されてしまうような人間の殲滅であり、宮嶺はあくまで恋人でヒーローという役割を与えられたスケープゴートであったのではと考えられます。
そもそも、殺人というのは一般的な倫理観では「悪」であり、ヒーローという役割を与えられたことで流されて景による殺人を容認してしまう人間は、"流されている人間"であり、景としては殺すべきであると考えるべきなのでは無いだろうか。
しかし、宮嶺が全く「特別」ではなかったのかというと、それも違うと言えそうです。
景は物語序盤に宮嶺に対して流される人間に対する批判や性悪説について宮嶺にだけ語っています。結果はどうあれ、最初は景にとっても何か他の人物と宮嶺に違いはあったのでしょう。
景が、「凧は自分で隠した」と言ったシーンがありました。流石に小学生のうちからブルーモルフォを計画していてスケープゴートを用意していたとは考え辛いので、この時、動機はどうあれ景は宮嶺の気を引こうとしていたと考えられます。これを踏まえると、少なくとも小中学生の頃には景は宮嶺に対して好意を寄せていたと考えるのが自然ではないでしょうか。その象徴となるのが「消しゴム」だと考えられます。
最後の刑事の推測が真実であるとすると、物語終盤の彼はスケープゴートとして支配されたと考えるのが妥当であるが、最初は確かに「特別」があったのだろうと僕は思う。
#恋に至る病 #斜線堂有紀